どぅーちゅいむーにー

これ、Twitterでよくね?という日々の記録かも

本:断片的なものの社会学

前に「東京の生活史」というのが気になっているっていうのをちらっと書いたのですが、あまり真面目に調べてなかったので、この本を読みはじめてアレ?っていう感じで。

読んでいるとけっこう雑多な感じで特にこれが言いたいっていうポイントがそんなにあるわけでもなく。あとがきで著者自身がコメントしていますが、『とらえどころもなく、はっきりとした答えもない、あやふやな本』というのがまさにその通りのような内容かと。

たぶん、(自分もふくめて)普通に生活をしていると(マジョリティ)知らない世界を垣間みれるのではないかと。ドキュメンタリーとかで見かける話とはまた違った感じの、より生活感のある内容になっているかと。

正直、社会学がどういう学問なのかあまりわかってませんが(ぐぐってもいませんが)、なかなか興味深い学問かも・・・SEな仕事してなかったら(文系の大学に進んでいたら?)こういう内容を掘り下げるっていうのも性に合ったかもしれない(あくまでしれないというレベルですが)。

んで。個人的に一番響いた内容は「自分を差し出す」の最後のほうに書かれている著者が述べる「良い社会」の1つの尺度。

「良い社会」というものを測る基準はたくさんあるだろうが、そのうちのひとつに、「文化生産が盛んな社会」というものがあることは間違いないだろう(P199)

この前段のストーリーがあり、このあとにも文章が続きます。スケールの大きい話なわけではなく、本に登場する人々のストーリー(どちらかというと暗い・・・ですよね)からすると、救われるような話でも何でもないのですが、このあたりの説明が響きました。

章というか、ストーリーというか、タイトルというか、話全体で深く?入り込んだ話が「笑いと自由」。

少なくとも私たちには、もっとも辛いそのときに、笑う自由がある。もっとも辛い状況のまっただ中でさえ、そこに縛られない自由がある(P98)。

自分にあてはあるというか、おもに話を聞いた時、どう返して良いかまったく思いつかないときに自分も乾いた笑いがでることがあると思う(何となく自覚している)。

このエントリーを書くにあたって改めてパラパラっとページをめくってみたのですが、この本を読んで何か得られるものがあったのか・・・というと、わからない。自分(ある人)が生活をしている。別のところで自分とまったく関わりのない(たくさんの)人が生活している。その一人一人の生活は千差万別で、たぶん自分が想像しえない環境(良い悪いに関係なく)で暮らしている。そこで何かが起きたとしても、もちろん自分には何の影響もない(ことがほとんどであろう)。まぁ、当たり前のことではありますが、だから何なのかと言われても、何とも言えない。

世の中は狭い、なんていうこともありますけど、それはただの錯覚なんですよね(と思いました)。

今度気が向いた時に社会学というのをもうちょっと調べてみようと思います。

おわり。