長かった1週間(の勤務)が終わった・・・
今週はちょっと精神的に疲れる事案が多かったなぁ、というところ。なので成果がほとんどない気がする。
まぁ、そういう運気の流れもありますよね・・・ということで。
おわり。
ちょっと立て込んでいたのでこの独り言の更新も今年だけに限ると初めての中4日。まぁ、その前に中4年とかしてますが・・・
プロ野球は交流戦スタートだとか。おカープさんの苦手なやつです。早速ロッテ様に完敗したようで。まぁ、まだ初戦だし、と言いたいところですが苦手だからこそスタートは調子良く行きたいところでしたが・・・はてさて、どうなることやら。ローカルにある10年日記をみると2019年の5月24日は東京ドームに行っていたらしい。バティスタのホームランが凄かったらしい。
今日の東京はいい天気?だったかまでわかりませんが、お昼に外にでたときは爽やかな感じでした。ここ数年、5月の後半って夏?みたいな日が少し続く傾向があるような気がするけど今年もそうなのかなと。この傾向の結果はまた数年後にでも思い出せたら振り返ってみる方向で。
いぢょ、中身のない話。
たしか小学校1年生。
隣の小学校の校区にあるアパートの一室。小学校高学年の兄が通っていたピアノ教室に自分も今日から通う。
アップライトピアノの前に座り、右手を鍵盤に置く。ド、レ、ド、レ、ド、レ、ド、レ、ドー。バイエルの1番。初めてのレッスン。初めての演奏。いや、保育園でカスタネットを鳴らしたことはあるか。でも、叩くは演奏になるのか。まぁ、そんな細かいことは気にしない。
小学生になって学校まで歩いて通うようになり、自分の世界は確実に広がったはずだけど、そこはクルマに乗らないと行けない遠さの場所だった。クルマで行く距離にある見知った親戚のお家でも、美味しいものを食べに行くレストランでもない。ある意味普通の場所だけど、知らない場所。
でも、そこに通ったのは両手で数えられるくらいだったと思う。ほどなくしてそのピアノ教室がおうちから歩いていけるところに引越してきた。近くとはいえ小学校低学年の子どもが歩いて通うにはちょっと遠かったけど。新しい教室は戸建てになった。前の教室は先生の生活空間と一体化していたけど、新しい教室は先生の生活空間と教室がきちんと分けられていた。
アパートのピアノ教室、玄関から入ったら広がっているリビング、小部屋に置かれたアップライトピアノ。最初の頃に少ししか通わなかったはずだけど、40年近く経った今でもまぶたを閉じればあのアパートのピアノ教室の雰囲気を思い出せる。
もちろん、その後何年も通った新しい教室は鮮明に覚えているし、思い浮かぶ場面もたくさんある。古い教室の思い出はほぼ上に書いたことがすべてだ。でも、思い出すたびにとてもノスタルジックな気持ちになる大切な柔らかい遠い記憶。
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ちょっと思いついたのでつらつらと書いてみた。初めて弾いたピアノはドレドレドーっていう記憶だったけど、バイエル1番をちょっと調べたらリピートを除けば合ってたことに自分でもびっくりした。
余談。
就職で上京して3年目くらいのころ、会社のオフィスの近くでピアノの先生にばったり会ったことがあります。先生のお子さん(といっても自分より年上)が住んでるので会いにきたとか。
東京でまさかまさかでほんとにびっくりしました。
先生お元気かなー。
写真。
2014年に行った豊島に当時あった塩田千春さんの『遠い記憶』(2020年に撤去されたので今はもうありません)
初めての電動アシスト自転車(レンタル)、いい天気で散策は気持ちよかったなー。
おわり。
沖縄の復帰の話の流れでYahoo!ニュースをみてたら『復帰前の話を聞いたことがあるか?』っていうのがあったので。
B円の話は祖父からちらっと聞いたことがありましたが、今調べると戦後当初がB円でそのあとドルになったみたいですね。
1990年代中頃って円高だったので(たしか)、その頃によく聞いた気がするけど、両親の青春時代(1960年代かな・・・)は『1ドルあれば那覇までバスで行って、映画見てステーキ食べて帰ってこれた』という話。私がティーンエイジャーだったころでも2500円くらいないとそれはできなかった気がする。
ちむどんどんは観てないけど、そんな感じのくだりはあったんですかねーなんて思いつつ。2週目くらいにチラ見したときに、仲間由紀恵さん演じる母が炊き出しの仕事でもらった給料が50セントくらい?(硬貨2枚)だった場面がありましたが。
今は実家(沖縄本島中部)から那覇までバスで片道4ドル(130円計算)でも足りない気がする・・・
おわり。
ニュースでもいろいろ取り上げられておりますが。
今年は50年という節目なので大々的に報じられていると思いますが、子供の頃は5月15日という日付はまったくと言っていいほどに話題にならなかったと記憶しています。
6月23日の慰霊の日は、平和学習的な時間が設けられて第二次大戦時、沖縄で組織的な戦闘が終わった日と教えられるし、県民の休日でもあったので効果抜群。沖縄の小学校に通った人の認知度は100%なんじゃないかと。
社会人になって沖縄で生活をしたことがないので実情はわかりませんが、自分が知っている後半25年でどれくらい変わったのかなぁ。
インターネットによって情報格差は是正されていると思うけど、知らないほうが幸せなんていうことがなければ良いのですが。
時々入ってくる真偽の定かでないネット記事とかみると格差とか貧困といった話もありますが、それはどこの地域でもあることなのではないかとも思うので、何とも言い難いというか。
ただ、ローカルのマーケットだけだと商売も厳しいと思うので、全体の入りを増やすには、地理的なハンデのでない土俵で勝負できるように育てていかないといけないんじゃないかなーと漠然と思ったりします。
自分がこの先沖縄で暮らすという選択をするかどうかもわかりませんが、10年後、20年後とどうなっていくのかが気になる今日この頃です。
もうだいぶ遠ざかってしまいましたが、2010年頃までは草野球に勤しんでおりました。
たぶん、他のスポーツでも同じなんじゃないかなーと思いますが、『いついつのどこそことの試合のあの場面』とか『どこそこのチームの○○(ポジションとか)が』とか、過去の試合の細かい?場面をよく覚えている人が周りにいると思います。
が、私はこのあたりがさっぱり覚えられません。一応、自分が関連している(ピッチャーで投げている場面とか、数少ない会心の打撃とか)ことでいくつか覚えている場面はありますが。
でも条件は変わって、仕事のことになると結構記憶に残るタイプらしく、不具合で痛い目にあったときのことを始め、どうしてそういう仕様にしたんだったっけ?とか、自分がプログラム書いたわけでもないけど普通に覚えていることが、他の人(同僚とか)の記憶には全く残っていないことが多い気がします。覚えているけどすっとぼけることもありますが。
がんばって覚えようとしているわけでもないのに覚えているってことは、それに向いているっていうことなのかなーと思ったりするのですが、実際どうなんですかねぇ。
これはときどき考えてたことなのですが、ブログネタ書こうとするときには記憶から薄れてて、たまたまミスチルのコンサートに向かう電車の中で思い出したので書き出し部分だけ書いてて、前のエントリからなんとなく流れが繋がった。このタイミングになるように隠れてた記憶が寄ってきたのかなーなんて思ったり。
それはそれで。
他には道を覚えるのは得意なほうかな。路線も。電車自体には興味はあまりないけど、効率よく移動する!ってことにヨロコビを見出しているだけかなぁ・・・と思わなくもない。でも、なんとなく歩くのも好き。目的地はだいたいあの方向だ!適当に向おう、みたいな。
野球のこと以外ですぐ忘れる(覚えられない)ことって他にあったかな・・・。仕事でも名前と顔はちょっと厳しいか。若いころはそうでもなかったっていう記憶もないのであまり変わらない気がする。
ショッピングセンターのとあるショップで接客を受けて、ちょっと考えますと言っていったんそのショップを離れたけど、やっぱり買おうと思ってちょっと時間が経ってから戻ったときとかに、さっき接客してくれた人が誰だったか分からないことがたまに・・・(店員さんが複数いる場合)。
あっ、これって他人に興味がないっていうことですかね・・・
この間、藤子不二雄Aさんの過去のインタビューで、電車に乗ると乗客を観察して妄想する(この人はこういうバックグランドがあって・・・みたいなストーリーを考える)とお話しされていたのですが、とりあえずそんな感じで印象付けるところからスタートですかね。
なんてことを考えている13日の金曜日。
良い週末を。