どぅーちゅいむーにー

これ、Twitterでよくね?という日々の記録かも

縁と運

とある法話を拝聴させていただく機会がありましたのでちらっとおまとめ。
たまたま縁あって、という表現は変。縁はあるかないかなので、たまたまではないと。良いことがあれば縁があって、嫌なことがあれば不『運』ではなく縁がなかったということである。

なるほど。
仏教でいう愛は地球を救わない。愛があると執着し、それは諍いのもとになる。愛国心が戦争へと導くと。

家族=愛、これを振り切ると心が穏やかになれる、すなわち出家。

他力本願とは、自分は何もせず他人ががんばってくれるのを願うみたいな意味合いが強いが、もともと、自分で修行をがんばるのが自力で、仏様に祈る(仏様に頑張っていただく)のが他力本願なんだとか。ということは、頑張ってくれる人を全力で応援しないと。

悟る場所がこの世があの世か、自分が頑張るか(自力か)、他力かでカテゴリー化されることがあるんだとか。

阿弥陀、みだ、メーター、はかる。
「あ」は否定(asymmetryの、a)ということで、『阿弥陀』で測りきれない(無量というらしい)という意味合いになるんですね。

これは常識なのだろうか。

日本人は、仏教から先祖教になったと。まぁ、確かにそういわれるとそうか。でも、また違う方向を向き始めたよなーと思ってたらそんな話でこれからは個人の宗教に(仏教が)なれるのかというのを考えているとのこと。器(国?)をつくるとそれに執着するのが人、心穏やかに生きたかったら無欲になること、人はそれよりも大事なことがある(だから心が揺らされる)。
娑婆での心穏やかとは何か。
サハー、忍ぶべき場所(耐えるべき場所)だと思えば、少しいいことがあると喜べる。この世が極楽だと思うと苦しみは増す。

特に予定していたわけでもないけど、良いお話が聴けてよかった。

ご縁をありがとうございました。